SCENE22

多分そこはODEON近辺だったかと思う。次のシーズンのコレクションを手配するためにパリにある新進のデザイナーのアトリエを訪ねた時のことだ。まるで日本なら明治か大正時代に出来た洋館の様な造りの天井の高いそのアトリエは、不思議な雰囲気を醸し出す空間だった。入口を入ると左手には二階へ上がる階段、その階段を颯爽と降りて来たモデルが綺麗にターンするとフレアスカートが品よく広がりを見せる。

まるで、イーディ・ゴーメあたりが歌うジャズヴォーカルが背景に聞こえて来そうな、そんな動きが華麗なモデルさん。着ているブラウス、スカートはどちらもシンプル、だがその上質の素材は限られた時間と空間の中でも十分にストーリーを生み出す。総数にして僅か20点ほどのコレクション、だがその実数をはるかに超えて深くバラエティに富んだ印象を強く残した。そう、そんな風にじっくりモノを見る習慣・機会がすっかり影を潜めつつある昨今。何でも即座に返答し、成否がついたらまた次へと、答えて進むだけの今の社会。その流れは一方で、じっくり見る楽しさや、発見する喜びを忘れさせてしまっている。「始めた頃、洋服ってもっと楽しいものじゃなかったかなぁ?」価格ばかりに囚われている最近の市場の様子を見ていると、今日もまたそんなノスタルジィに襲われるのだった。

 

サトシN

 

 

SCENE21

今でもあるだろうか?それはマンハッタン、と言っても高級店が並ぶ5番街から外れた9番街と10番街の真ん中辺りにあった。デイズ・インというそのホテルは、日本人が持つニューヨークのイメージとは程遠い、薄暗く時代遅れな、もしかするとラブホテル?とも疑いたくなる冴えない造りだ。長旅の末、ニューアーク空港からようやく辿り着いたのがこんな安ホテルでは、疲れも倍増しそうだ。おまけに入った部屋は運悪く洗面所の水捌けも悪く、慌ててフロントに電話すると、やって来たのが片手にハンマーを持った背丈2mもありそなう無表情な黒人の修理工。中へ通すのも憚りたくなる風体だが、一応、修理は無事済んだ。兎にも角にも長い一日を終え、ホッとしたのか、いつの間にか寝入っていた。

ふと目覚めると、そこには既に朝のニューヨーク。カーテンを開けると冬曇りの天空に吸い込まれて行くように、無数の摩天楼が聳える。その光景に、急にガーシュインの曲ラプソディ・イン・ブルーが思い浮かんだ。あのイントロのグリッドサンドが頭の中を駆け巡る。そんな瞬間、私は爽快な解放感と旅の歓びを覚えたこをと忘れない。

何でもスマホで手に入る時代、その分、発見や感動も少なくなった。同じ高層でも、

ニューヨークの摩天楼には最近の’タワマン’にはない、歴史を生きた気品と風格が間違いなくあった気がする。

探検してますか?街を世界を自分の足でもっと訪ね歩きましょう。

 

サトシN

SCENE20

ピガールにあるその雑貨店は今も現役だ。街が変わり人が変わる。その流れの変化はパリも同じ。嘗ては卑猥なポルノ店やぼったくりの聖地だったこの街も、今ではチョッとした高級住宅街に変貌しつつある。勿論、風車で有名なキャバレー・ムーランルージュは今も健在で、毎晩、大型バスが大勢の観光客を運んでは来るが、一方で最近は、品の良さそうな中高年夫婦の姿もよく見かける街になった。そんな、住民も地主も変わる中、近所のクラブの踊り子さん達にも馴染みのその店の佇まいは、まるでその一角だけユトリロの絵から抜け出したかのようで、時間が止まった感覚すら覚える。主のマダムは雑踏から少し離れた高台のアパートに暮らしていた。

その玄関をいかにも気位の高そうなフランス人らしい初老のコンシェルジュが見張る。部屋はさほど広くないが、何よりそこの窓から一望出来るパリの下町の夕景が圧巻だ。延々続く民家の屋根。そしてその先に望むサクレクールの姿。「この景色がある限り、ピガールから離れられない」

ドレスの仕立てから舞台のコスチューム、ストール、その他、ありとあらゆる小物まで扱う彼女の店には、舞台本番直前、ドレスのほつれを見つけ慌てて駆け込むダンサー達の姿を見るのも日常茶飯事。この窓からの静寂とすぐそばの混沌とした雑踏が一体となたこの街の不思議な魅力は、いつまで経っても尽きそうにない。

 

サトシN

SCENE 19

イーストリバー沿いの道をダウンタウンへ。黒人の運転手は無愛想だが、それを除くと気分は爽快、車は軽快に走った。やがて車は突然空から襲い掛かる様なブルックリン橋を見上げつつ、橋の袂の交差する道路へ入ると、そこには喧騒としたチャイナタウンの街並みが広がる。1920年代頃のギャング達の抗争の爪痕が今でも残る様な街の片隅で我々はタクシーを降りた。トニーの店はロウアーマンハッタンの北端ソーホーの外れ、リトルイタリーとの中間辺りにある。嘗てソーホーが倉庫街から新しいファッションエリアとして注目され始めた頃、既にその店は創業30年を迎えていた。オーダー中心のブティックにカフェも併設されたその店は、当時としては斬新で、おしゃれなニューヨーカー達の隠れ家となっていた。そして今のオーナー、所謂、セクシャルマイノリティに属するトニーは三代目。高級店が犇めく五番街にはない店づくりをコンセプトに、五番街から多くの有名店が消えた今も、この店はいまだ健在である。そこにはLGBTトニーならではの美への拘りがあった。商売の秘訣を聞いてみると「モノマネはしない、ニセモノは売らない、ヤスモノは買わない。要するに“美しくない”モノはぜーんぶイラナイということ、簡単なことよ!」と言ってのけた。少し歩けばウォール街だが、ここには今もロマンが残っている様な気がする。

 

サトシN

 

 

SCENE18

元町にあった輸入雑貨店の話である。雑貨店といっても階段を上がると二階は画廊、ある時期は誰もが知ってる超有名バックブランドの代理店もしていたその店には、横浜ならではの舶来の匂いが溢れていた。所謂老舗、同時におしゃれ、男性の店員さんも何となく大人の色気がある映画俳優の様な雰囲気の出で立ちで、偏屈な女性客も上手にあしらう。特に片膝ついてパンプスを女性の足に合わせるその仕草には、間違いなくお客を虜にさせる妙がある。同じ頃のテレビドラマにやはり靴屋の亭主と有閑マダムとのラブロマンがあったが、そこにも店主が片膝ついて女性に靴を履かせるシーンがあり、それがとてもセクシーに見えたのが今でも忘れられない。所作は習って覚えるものだが、習ってもそれをスマートに活かせるかどうかはその人のセンス次第だ。そうやって格好よく履かせてもらうと、靴自身も緊張して、一生懸命淑女のおみ足を更に綺麗に見せようと努力する。そう、モノは人間の魂が宿って初めて生きて来るもの。それを上手に大事に扱えば、モノもその気持ちに応えてくれる。こうやって一つずつを大事に扱えば平凡な雑貨屋も宝箱になりそうだ。モノが溢れて久しい今、何か新しいものを仕入れるのではなく、あらためて貴方自身をしっかり売ってみるのはいかがでしょう?毎日が更に楽しくなるかもしれません。

 

サトシN

SCENE17

パリのオペラの裏通りに100年続くブティックがある。今は創業者のひ孫の遠縁にあたるジョセフィーヌが店を切り盛りしていた。御多分に洩れずパリも個人商店がどんどん姿を消し、昨今はアパレルメーカーの直営店が幅を利かす街に成り下がっているが、そんな中、依然として彼女の店だけは色褪せてはいない。聞くと場所柄、その時代時代で客層も随分変わって来た様だ。100年と言えばドイツ占領下も体験しているわけだが、戦後だけでもそれがアメリカ人だったり、オイルマネーに沸くアラブ人だったり、嘗てのバブルの日本人だったり、そして最近は中国、ロシア人と、わずか半世紀の間に、この街を賑わすあるじ達も目まぐるしく代わって来た。だが、どんなに街が変わっても、行き交う人が変わっても、この店だけは変わらない。

創業以来のモットーは、なるようになる、いつも心はリニューアル。こころは毎日、新装開店。それが出来れば、なんとかなるさ、と言うことか。

いくら必死に時代を追いかけても、回りは皆、結局追いつけずに消えて行った。

時代に振り回されず、でも新鮮な気持ちは忘れずに。お店の顔、ショーウインドウはいつも新鮮だ。ディスプレイは朝夕念入りに変える。「なぜって、ここが私のキャンバスだから」そう言ってジョセフィーヌは笑うのだった。

サトシN

 

 

 

 

SCENE 16

香港の九龍サイドからスターフェリーに乗り、朝の心地よい風を浴びながら、船はアッという間に対岸のセントラルに到着した。出勤途中の忙しそうなビジネスマンの多いこの地域の一角に、Lily Chaoのオフィスはあった。そう彼女は香港で一世を風靡した映画スター、その彼女がアパレルメーカーを営んでいる。連れが気をもむほど我々の前になかなか姿を現さない彼女。やがておもむろに登場した彼女は、やはり別格に艶やか。たちまち周りの人達を、自分を取り囲むただの背景にしてしまう。返還のずっと前、三十年前の香港にはそんなツワモノが大勢いた。

歌手を目指していたココ・シャネルは、自分の被っていた帽子が上流階級の人気となり、パリに帽子店を開いたのがデザイナーとしての始まりだったことは有名な話だ。

つい先日まで、ブティックの経営者は女性達の憧れだった。そこに資格試験はないけれど、誰もが認める器量やセンスがないと、オーナーとは認められない。芸能人と一般人の中間に位置する様な存在。だが、そんな経営者が一体、今は何人いるだろう。誰かが呟く「時代が違う」と、でも、そうだろうか?

ファッションはいつも憧れから始まる。初めてファッションショーを見た時のあの感動は今でも忘れない。いつの時代も人々が憧れる存在、そんな街角のスターの再来を世間はいつも待っている。決してノスタルジーではなく、ニーズは今もそこにある。

 

サトシ N

SCENE 15

先日、乗客を引き摺り降ろしたとまた騒ぎになった航空会社のサービス事情。

アンカレッジ経由でヨーロッパまで行かれていた諸氏にとっても、苦い想い出は多いことかもしれない。

まだロシアがソビエト連邦の頃、当時のアイロフロートでパリ行きに乗った際、本来、経由地のモスクワで乗り継ぐはずの便が先にパリに飛び発ってしまい、否応なしに空港裏のホテルに止め置かれたことがあった。今思えば、あれはオーバーブッキングでパリ行きが既に満員になったため、乗り継ぎ客を乗せた便を待たず先に飛び発ったのだろうが、当時はそんなからくりも分らずにいた。それは兎も角、そのホテルというのがまるで監獄であった。空港からは銃を携えた兵士に護送され、点呼の後は、一様に二人一組にして部屋に押し込まれる。たまたまその時は他の一人旅の男性と相部屋になれたが、状況が違ってたいたらどうなっていたことか。部屋はまた、お湯は愚かシャワーすら満足に使えない。間もなく夕食となると、今度はガランとした体育館の様な場所に通され、縦一列に並べられたテーブルの隅から順に四人一組で座らされた。やがて出されたメインディッシュは靴底の様な硬い肉。恐る恐る味見するが全く箸が進まない。仕方なく水でも飲もうとしたら、ガラスの水ガメは手垢がいっぱい。満足に水すら飲めない有様だ。あまりの状況の酷さに、向かいに座るイタリア人女性はとうとう泣き出す始末。悲惨な食事を終え長い白夜を耐え、翌早朝、銅鑼の音と共に叩き起こされた我々は、ようやく空港へ解放された。その時の出発前の空港での何でもない質素な朝食が、妙に美味しく感じられたことは今でも忘れない。結局、全ては当時の社会体制の成せる業。そんな中にも「ようこそソビエトへ」と、愛想良く微笑みかけてくれる空港職員はいた。結局、全ては人間次第、その本質は今も昔も変わりないのかもしれない。ただ、全てにおいて、昔は『もっと人間味が感じられた』気がするのは、またいつものノスタルジーだろうか。。

 

                                                サトシ N

 

 

SCENE 14

「まるで質の悪いソープコメディを見ているよいうだね」、知り合いのフランス人が最近の世界情勢をこう評した。間の抜けた人達が繰り広げるドタバタ喜劇。あの懐かしい古き良き時代のアメリカを象徴するコメディだが、その本家アメリカの、あたかもそれを地で行く様な最近の情勢には、もう誰も呑気に笑っていられない。加えて世界は今、何処もかしこも、時計を巻き戻した様な懐古思想に満ち溢れている。もしかしたらこれはグローバル化がもたらした反動か?世界中何処もかしこも右も左も、同じもので溢れている今、人々はついにそれに我慢ならなくなって、自分達の個性、違いを極端にいびつなかたちで主張し始めた。「俺たちはお前らとは違うんだ」と。

本来、貿易の始まりは、異文化交流。自分達にはない珍しいものを見て、相手の資質を褒めたたえるモノを通しての文化交流。世界はこうして発展して来たのだから、ただ自らに酔い、その素晴らしさを誇張するだけなら、それは単なる時代遅れのナルシシズム。同時に世界中が同じ方向に向かって進むグローバル化にも赤信号が点灯した。夏には大きな選挙があるフランス。「もし右派が勝利したらどうする?」と聞いたら「そしたら僕は日本に住むよ」と、知り合いのフランス人はニヤりと笑った。

少なくとも我々の異文化交流はまだまだ続きそうでホッとした。

                                                       サトシ N

SCENE 13

つい先日まで「グローバル化のお陰で世界中がどこも同じでつまらなくなった」と呑気にぼやいていたが、アッという間にその様相は一変、急に世界の国々がどこも保守的、排他的、純潔主義に向かい、今や多くの国境に‘異民族立ち入り禁止’の立て札が並びそうな勢いだ。結局、実は皆、よそと同じはまっぴらご免ということか。

人間同士の諍いが多いのは、国と国とに限ったことではない。元々それは個人と個人の諍いから始まっている。そこに違いがあるから分からない、理解できない、腹が立つ、そしてその違う発想が、異なるモノを生み出す。だが、それがモノであればむしろ逆に面白い、めずらしいとなり、人ならば気に入らない、生意気だ、ふざけるな!と変わる。一方では認め、一方では否定。全く人間とはなんと単純で勝手な生き物だ。その生き物が更に増殖し、行き場を失った連中が自分の居場所を死守しようと、世界中のあちこちで諍いを起こし、更に住みにくい社会を作る。こんな繰り返しで、果たして地球はこの先、いつまで営みを続けることが出来るのだろうか。

ただそんな中でも、我々(貿易業者)の立場はいつも自分と相手の国の中間にある。

そのどちらの違いも認め特性を紹介し、お互いの仲を取り持つのが我々の仕事だ。

「輸入品がつまらなくなった」と言われて久しい。でも、そうだろうか?

人間同士がそうであるように、食わず嫌いもまだまだいっぱいあるはず。せいぜい、他の国々のいい面を紹介し続けて行きたい。

’世界平和’なんて大袈裟じゃなく、もっと手軽な友好のために。打つ手はまだまだあるはずだ。

                                      サトシ N        

 

SCENE 12

「輸入品がつまらなくなった」と言われて久しい。我々にとってのそれは、勿論、フランス、イタリアからの製品を意味する。

アッという間に情報が世界中を駆け巡る現代。一方で、世界各地それぞれの多様性は影を潜め、いつの間にかどこも画一化され、面白味が薄れてしまった。

ノスタルジーではないが、国際電話料金が途方もなく高く、海外へ行くのに餞別まで貰えた時代を知る我々にとって、嘗ての憧れの国々の精彩を欠いた今の姿を見るのはは、何とも寂しい限りだ。ではなぜそうなったか、その元凶はどこにあるのだろう?

そう考えて思い当たるのが、最近のファストフード、ファストファッションに代表されるファスト文化。兎に角、早いことが最優先、早いことが優れていると見做す意識が、本来あった価値観を狂わせる。早く大量に安く作ることが全て。そこには品質を議論する余地もない。つまり、素材の良し悪しなど、そんな余計な事考える前に、サッサと作ってしまえという発想である。そんな論理が世界中を席巻している今、これではいいものは生まれず、いいものを分かる人が育たないのも当然だ。パリやミラノの有望なデザイナーも、結局、時代の波に飲まれ、気が付けば、結果、世界中、誰もが同じものを作っている。嘗て印象派が屯したパリのムーランルージュ。放蕩を繰り返した彼等のそんな生活の果てに、偉大なパリの文化は生まれた。

時間と共に、やがて時代はまた戻る。そう信じて、辛抱強く、本物に拘り続けたい。

 

                                      サトシ N

 

                                              

 

SCENE 11

先日、フランスから来たメーカー夫妻と食事することがあった。共に再婚で、同時にそれぞれの連れ子までいる二人。でも、流石にそこはフランス人、終始、仲良くベッタリの二人を見て、「これがいつまで続くことやら」と半ば呆れながらも、同時に微笑ましく思える光景でもあった。カンヌ出身の彼女は大の日本食びいきで、一般的な懐石に出る食材ならば、既に大概のものは食している様だ。カンヌというと例のレッドカーペットを思い浮かべ、ついハリウッド等の大都市のイメージとダブってしまいがちだが、実際には、元々は湿地帯だった漁村で、新鮮な魚介類を食する文化は昔から備わった土地柄らしく、その分、日本食にも馴染が深いらしい。

話のついでに、彼等にテロの恐怖について尋ねてみると、「それはいつ起こるかも分からない地震は怖くても、貴方がここから逃げ出さないのと同じこと」と、分かり易い解説を頂いた次第だ。何でも彼等が暮らす南仏は、異人種同士がもっと穏やかに和やかで、その分、お互いの摩擦も少ないらしい。

これから日本にも益々異人種が増え、彼等を当たり前にお客様として迎えられる心の準備、それが本来の’おもてなし’のための一番大切な心構えなのかもしれない。

日本酒が大好きな彼等と、こちらはワインで酒を酌み交わしながら、ふと、そんなことを改めて考えさせられた夜だった。

 

                                      サトシ N

SCENE 10

企業担当者の「明日から海外で働けますか?」の問いかけに、面食らう学生も多い最近の就活事情らしいが、グローバルな世界の中で、生き残りを賭けて企業の意識はハッキリ海外を向いているが、肝心の仕事を求める側の意識がそれに追い着いていないのが現実らしい。

確かに「海外で一旗揚げてやる」という無鉄砲な輩が今どきどれだけいるだろう。

勿論、ここで言う’海外’とは未開の市場。その多くが途上国で、パリやニューヨークではないのだから、生活するのも大変だ。尻込みするのも無理はないが、そうした未開の地での過去の弛まぬ努力、未知への挑戦が、今の多くの大企業の礎を作って来た。当時のパリやニューヨークの人々にとって、日本人は遥か彼方から来た未知の異邦人だったに違いない。そんな異星人がありとあらゆるブランドを買い漁る様を、彼等はどう見ていたのだろう。まさに元祖爆買いである。

いずれにしても、何をするにも凄まじいエネルギーの当時の日本人。

そんな何でも欲しがる時代から、自分だけのオリジナルの時代に、日本はいつの間にかすっかり移行している。

街のテーラー屋さん。今もしぶとく生き残る彼等の強みは、大手には負けない自身のオリジナリティにある。そんな彼等から学ぶものも多い。

見つけましょう。貴方だけのオリジナルが、きっと貴方のそばにもあるはずです。

 

                                      サトシ N

 

SCENE 9

アルノ川に差し込む日差しが眩しいある晴れた日曜の朝だった。初めて泊まるイタリアのホテルは、おおよそホテルとは名ばかりのペンションの様な造り。但しその歴史だけはかなりのものの様で、牢獄が上下する様なエレベーターを見ればそれは一目瞭然。通りに面した私の部屋は、一時の夏の夜を楽しむ若者の猛烈なバイク音が一晩中鳴り響き、昨夜は一睡も出来なかった。このフィレンツェを起点に北への仕事の旅が始まるのは、明日、月曜日から。

今日という、この長い暇な日曜の一日をどう過ごそうか、そう思いながらホテルの小さなダイニングで軽い朝食を済ますと、とりあえず外に出てみることにした。

少々暑いが、いかにも七月初めの初夏のイタリアらしい爽やかな季節。川面からの風が心地いい。賑やかなベッキオ橋を渡り、やがて何となく散策しているうちに招かれる様に辿り着いたのがミケランジェロの丘。当時はその名前さえ知らず、ただ「なんと素晴らしい眺め」と感嘆していた。

何でもネットで手に入る時代、逆に、こんな小さな発見旅行が出来る機会も少なくなった。

あくびが出るようなシナリオをドラマ化しても誰も称賛しない。初めから分かっていたら、全てが上手く行ったら何も面白くない。

意外性、そして発見。そんな映画の主人公の様な人生を演出するためのお手伝いが我々の仕事。シナリオをより面白くするための舞台衣装は欠かせません。

 

                                      サトシ N 

SCENE 8

ロボットの技術革新が目覚ましい。それは今や、少し前まで人間だけの領域とされた分野にまで進出し、いとも簡単に人間の仕事を奪って行く。最近、オックスフォード大学の研究員が発表した論文によると、向こう10~20年のうちには、現在、人間が手掛ける仕事のほぼ半分は、ロボットが代行することになるらしい。また、この論文は更に、今後、人間から「消える仕事」「なくなる職業」も予測しており、その中には、例えば、カルテや薬のデータ分析を要する医療診断や判例事例を分析する法律分野に纏わる専門職、或は資料分析の金融トレーダーなど、膨大なデータ分析を得意とするコンピュータならではの仕事も多い反面、レストランやコールセンターなどでのサービス業も含まれている。

考えてみれば、遥か昔の産業革命以降、機械技術の進歩が大量生産を可能にし、社会をより豊かにして来たわけだが、全てのオートメーション化がこここまで進んだ今、人間はまた新たな岐路に立たされている様だ。

コンピュータ・データが編み出したバッチリのカラーコーディネイトを着せられて「オ似合イデス!」とロボット店員からお世辞を言われた時、いったいどんな言葉を返せばいいのだろう?。。もっとも、その頃のロボットは、最早、人の心まで読めるのかもしれないが、さて、貴方はそんなロボットに勝てるだろうか?

 

                                       サトシ N

SCENE 7

意外にもオーストラリア人には珈琲通が多いらしく、今、世界の珈琲市場を席巻している流行りの珈琲チェーンですら、その牙城には歯が立たず、ついに撤退を決意したという記事を最近目にした。

何でも地元には、元々イタリア系移民が始めた本格的エスプレッソの小さなカフェが数多く、それぞれが、その独自の味で勝負しているというのだから手強い。

実際、今のファーストフード系珈琲チェーンの出始めのころは、あのセルフでお盆を持ち歩くスタイルに馴染めず、「これは流行らない」と思ったものだが、その予想は見事に覆された。

携帯も同じで、当時、日本より先に携帯が出始めた香港で、これ見よがしに電話する姿が品のない成金趣味に映り、日本の美意識には馴染まないと思ったものだが、これもあっさり裏切られた。時代は移り、人々は常に新しさを求め、常識も変わる。

ただ、いつの時代も人々は、その時の流行りだけでは満足できず、本物に憧れる。

オーストラリアの小さな喫茶店では、ワインのソムリエにあたる珈琲のバリスタ達が、それぞれ工夫を凝らした独自の味で、お互いの腕を競う。

いつの時代もその道のプロ達は時を超える。それは彼らが、それこそが生き残るための唯一の手段であることを知っているからに他ならない。

                                      サトシ N

SCENE 6

先日、龍之介の短編「蜜柑」を読み直す機会があった。

奉公に出る娘が、汽車の窓から、見送りの子供達に蜜柑を投げ与えるこの作品の心理描写に、当時のインテリ、龍之介の姿が重なるこの作品が私はとても好きだ。

大衆に迎合出来ず、さりとて見下すことも出来ず、結局、何処にも自分の居場所を見つけられない孤独な姿は、当時のインテリや人気作家、その後の太宰の時代に至るまで、それぞれの作品を通しても多く見受けられる。

さて、時代は移り現代のインテリは、たとえ学者であれ、大衆を操るのがとても上手である。

ネットメディアが支配する社会、大衆を怒らせては袋叩きに合う。心の内では嘲笑しても、大衆に迎合し、同じ目線で話すふりを事もなげにやってのける。まるでセールスマンの様な弁舌爽やかなその姿に、最早、嘗ての寡黙で不器用な学者のイメージは何処にもないが、逆に肝心の本質が見えて来ない。

現在、世界を席巻する有名ブランドも、元はどれも、小さな工房で寡黙で偏屈なデザイナーの手から生まれたもの。そこに妥協のない頑固な姿勢こそが、彼等に現代に至る道を拓いた。

ファッションは流行の連続。でも、結局残るのは本物だけ。小さくても頑固に主張を続けること。

その姿勢が貴方の店を歴史に残します。

                                      サトシ N

SCENE 5

「パリの小路を歩いていた時の、あの思いがけない出逢い。。」

想い出に残る瞬間、それはいつも突然、予期せずやって来ます。

嘗ての様に、海外にいけば何を見ても新鮮で感動出来た頃と違い、今や老若男女、誰もが海外を気楽に旅する時代、こんな時代に、人と違う旅の楽しみを得ることは、むしろ難しくなりました。でも、本来、旅の魅力は探検、そして発見。遊園地で遊ぶのとは違うはず。予約したホテルが思いの外ボロ宿だったり、季節外れの天候に見舞われたり、或いは列車の乗り継ぎが悪く、郊外の駅で独り時間を持て余したり、そんなツアー旅行では味わえない予定通りに行かない旅には、案外、予想外の喜びが溢れていることも多いものです。結局、何がハッピーに成るかは終わってみないと分かりません。

黄昏時、パリの小路のブテックに灯りがともり、ショーウィンドーのマネキンが通りを行く人に微笑みます。

都会の旅人はいつも渇き疲れています。貴方のお店が彼等にとって、渇きを癒すいいオアシスであり続けますように。

 

                                      サトシ N

 

SCENE 4

遠い昔、遥か異国の彼方から、長い航海の末たどり着いた舶来品は、南蛮渡来の逸品として大そう珍重されました。そしてその想いは、高級外車や、欧州有名銘柄の洋酒や食品、或いは我々の扱う高級婦人服、雑貨品等をこよなく愛する今の人達の心に引き継がれています。

しかし、お伽噺の時代とは違い、これだけ世界が狭くなると、誰にも何処にも、瞬時に世界中の情報は行き渡り、最早、ゆっくり未知の世界を夢見ていることすら許されません。グローバル化の号令の下、それぞれの文化、民族の特色は隅へ追いやられ、何処へ行っても全てが同じ、ただ争いだけは相変わらず絶えないのが今の現状です。

知らない同士が尊重し合い、異なる文化に神秘を感じる。知り合って間がない恋人同士がそうである様に、知らないからこそ夢は膨らむもの。

あまりの情報過多の今、その情報処理にばかり追われて、ついつい目の前にある、大切な感動のチャンスまで見過ごしてることも多いかもしれません。せめて、お客様には夢を見て頂きましょう。

いくら世界が狭くなっても、舶来品はやっぱり今でも玉手箱。その神秘の奥深さは無尽蔵です。

                                      サトシ N

SCENE 3

 

 

ニューヨークのエンパイアステートビル。誰もが知るこのビルは、1930年代初め大恐慌の時代に、僅か1年ほどの工期で建てられ、その後、爆撃機の激突などの不運にもめげず、いまだにニューヨークのランドマークとしてその威光を保ち続けている。

一方、ヨーロッパでは何百年前の石造りの建物をリメークした高級アパートが、いつの時代も人々の憧れの的である。

時代は移り、その都度、新しい流行りが持て囃されるのは仕方がない。

そしてそれはいつも、その時代をリードする若い世代から生まれる。

そのイノベーションがあって人類は進歩する。古いものに固執しているだけでは先へ進めない。

だが、年齢を重ねても、ただ、若さ、速さ、新しさだけを追い求めた生き方では軽薄に映る。熟年になっても恋愛自慢、ソーシャルネットワークにハマり、スポーツ万能。。これも違う気がする。

人生の歴史を通して、ありのままの自分の中に、そこには既に、重み、風格が備わっている。その素敵な土台の上に、ほんの少しの時代のトレンドを混ぜてやれば、それで粋なおしゃれは完成するのだ。

おしゃれの基本は、古いものを壊すのではなく生かすことにある。

 

                                      サトシ N               

SCENE 2

先日、、音楽関係の知り合いのパーティに誘われ、久し振りに夕闇の一の橋を歩いた。芋洗い坂から麻布十番を抜けて拡がる一の橋、三田界隈。

元々、湿地帯だったこのあたりのすぐ傍の高台には、薩摩島津家や幾多の武家・華族屋敷跡もあり、そんな瀟洒な大正ロマンの名残りと、古川沿いの曲がりくねった路地裏に今もひっそり佇む、昭和の香りが残る下町らし家々との調和が面白い。

会場になった倶楽部も、昔の財閥の邸宅跡らしく、レンガ造りの立派な門の奥にはゆったりと庭園が控え、来訪者を片時の間、隔絶した世界へ誘う。

こういう場所では、やや時代遅れな歌や演奏までもが、なぜか高尚な響きに聞こえて来るから不思議だ。

嘗て麻布界隈には多数あったこんな空間も、今ではどれくらい残っているのだろうか。

考えてみると、衣服を始めヨーロッパ文化には、その長い歴史との拘わりの中で生まれ育まれたがゆえのディープな魅力があり、それがエスプリであり、質の高さに繋がっている。

近隣諸国が経済発展で勢いを増す今、我々はまた一歩先んじて、歴史に裏打ちされた奥深い文化を背景に、諸外国が憧れる様な新たな社会を再構築して行きたいものだ。

それには、時代に流され消え行く、物マネ、安ものばかりを追い求めるのではなく、本物と向かい合い、その本当の価値を知ることが、何よりも先ず大切である。

                         

                                      サトシ N                  

SCENE 1

ネットに「いつもハッピーに暮らせば、後ろ向きに生きるより8~10年は長生きする」という記事があった。実際の調査に基づくデータだそうだ。確かに、周りを見ても、明るく朗らかな人はいつまでも若々しい気がする。

とは言っても毎日の生活、色んな問題に追われ、それを処理する前にまた次の問題が生まれの繰り返し。いくら明るく朗らかにいたくても、気が付いたらいつも不機嫌な自分がそこにいるのが現実。

そう、本来人間はNEGATIVE思考の生き物。だからその辛い気持を少しでも和らげようと、演劇やアートの文化が生まれ、科学も進歩して来た。

そしてその中でファッションは、いつも新しいトレンドで、同じ日々の繰り返しに退屈しがちな人々の心をリフレッシュする役目を担う。

こうして、業種は違っても、人はそれぞれ知らないうちに、お互い助け、補い合っているのだ。

忘れたくないのは、今の仕事をすることは、誰かをハッピーにするための自分の使命であるということ。そのためには、先ずは自分がハッピーな気持ちになることが肝心です。それが、皆をハッピーにするための、最初の一歩なのです。                               

                                         サトシ N